副市長 × 女性リーダー
スペシャル対談

2023/06/14

JR東海×名古屋市役所。女性リーダー対談Vol.2。仕事も家庭も充実させたいあなたへ。

こんにちは。名古屋市役所副市長の杉野みどりです。
第一線で活躍する女性幹部の方から、これまでのご経験や、キャリアについての考え方などをお聞かせいただき、その内容を発信していきたいと思います。
これから管理職以上を目指していく女性社員・女性職員の方に、「キャリアを考えるきっかけ」や「キャリアアップのモチベーションをあげる機会」となれば幸いです。

第2回は、「中部の魅力を語る なでしこの会」(中部経済連合会加盟企業の女性幹部で構成)でご一緒させていただいている、東海旅客鉄道株式会社(JR東海)の執行役員、武田千佳さんにお話を伺いたいと思います。
 
対談場所は、NAGOYA INNOVATOR’S GARAGE(ナゴヤイノベーターズガレージ、中区栄三丁目)で、中部経済連合会と名古屋市が設立した会員制コワーキングスペースです。

東海旅客鉄道株式会社 執行役員・総合研修センター所長 武田千佳さん 1991年入社。
総務・人事・福利厚生業務を中心に従事しつつ、駅業務や病院の経営改善等を経験。
人事部厚生課長を務めたのち、2014年より新幹線鉄道事業本部にて、駅の業務統括や東海道新幹線のお客様サービス向上に関わる業務に従事。
新横浜駅長、運輸営業部営業担当部長、品川駅長を務め、2021年6月に女性初の執行役員として総合研修センター所長に就任。

人が好き。旅が好き。身近な存在の新幹線。そして新しい風に惹かれてJR東海へ。

(―は杉野が発言)
 
―まずは、御社に入ろうと思った動機を教えていただけますか。
 
武田さん:
私は人が好きで、人の生活に関わる仕事がしたいと思っていました。また、旅が好きで、大学のサークル活動ではたくさん旅行に行きました。地元は三重県四日市市で東海地域、大学は京都。旅行や帰省の手段として、新幹線はとても身近な存在でした。
人と人、人の生活をつなぐ仕事に魅力を感じ、地元エリア、馴染みのある新幹線というキーワードに誘われました。
また、弊社は国鉄分割民営化に伴い1987年に設立しました。私が入社した当時は設立直後ということもあり、新しい風を起こそうという社員の意気込みと、会社としてそれをバックアップしようという雰囲気がありました。その意気込みと雰囲気に惹かれた、というのも入社動機の一つだと思います。
 
―新しい風を起こそうという雰囲気があったのですね。どんな風なのか、気になります。
 
武田さん:
新しい会社になって、新しい力、若い力を大事にしたいという会社の思いを感じましたし、そういう中で先輩たちが様々な仕事を任され、生き生きと仕事をしていました。私もそんな風に働きたいと思って入社しました。そういう中で女性総合職の採用も増えていったと思います。

総合職として入社。女性の夜勤解禁で、当直勤務に従事。

―これまでどんなお仕事をされてきたか、教えていただけますか。
 
武田さん:
まず、弊社には「総合職」、「アソシエイト職」、鉄道事業を中心に勤務する「プロフェッショナル職」があり、私は総合職として入社し、5年ほど管理部門で、総務・人事の業務に従事しました。
入社6年目、1996年に鉄道現場に異動し、京都駅の営業主任を経て助役を拝命しました。1997年に弊社初の女性プロフェッショナル職採用を開始したため、その配属の準備や、若手社員の教育・フォローを行いました。
入社8年目、1998年に新大阪駅の助役を拝命しました。労働基準法の改正により、1999年4月から女性の夜勤が解禁され、当直勤務にも従事しました。

―総合職は勤務地が事業エリア全域なので、転勤があり大変だったでしょうね。
 
武田さん:
そうですね。入社9年目、1999年7月に、関西から東京へ転勤になり、管理部門に戻りました。
実は入社7年目で結婚、2000年に東京で出産し、1年間育児休業を取得したのですが、いざ復職しようにも東京では保育園にまったく空きがなく途方に暮れました。出産で実家の三重県四日市市に帰っていたときに、近隣の名古屋では保育園0歳児クラスに空きがあったのを思い出し、思い切って会社に状況を相談しました。結果的に、保育園に入れて実家のサポートも受けやすい名古屋に転勤させてもらえたのは本当にありがたかったです。
2001年に名古屋で復職し、名古屋のJR東海総合病院(現在の名古屋セントラル病院)や本社の管理職として従事し、娘が小学校4年生になるまでの10年間名古屋に在住しました。
その後、2010年に再び東京へ転勤となり、家族で転居しました。本社の人事部を経て、新幹線鉄道事業本部に配属となり、新横浜駅長や品川駅長を務めました。
10年間東京で勤務したのち、2021年に現職である執行役員総合研修センター所長を拝命し、単身で静岡県三島市へ転居しました。
 
―名古屋で子育てをしながら10年間働かれていたんですね。私は常々、「子育てするならナゴヤ」をぜひアピールしたいと思っているので、それを聞いて本当にうれしいです!
 
武田さん:
名古屋は本当に子育てがしやすい環境だと思います。教育機関や民間も含めて保育サービスが整っていますし、郊外には豊かな自然があり、都会の刺激もありながらゆったりと過ごすことができます。
 
―そうなんです。そこそこ都市機能がありながら、近隣に遊べる施設やエリアがたくさんあって、本当に過ごしやすいんです。

新幹線の駅長に。現場に赴くこと、現場の社員との対話が不可欠。

―東京では、管理部門から、鉄道現場の、しかも新幹線の駅長に!駅長時代のお話、詳しくうかがいたいです。
 
武田さん:
駅の業務は、入社後6年目から2年半従事していましたが、15年ぶりの現場で、しかも駅長!辞令を聞いたときは本当に驚きました。
後で考えると、私を新横浜駅の駅長に推薦してくださった当時の上司は、15年前に駅の業務をやっていたときの管轄管理部門の部長で、JR東海総合病院時代の上司でもある、関わりの深い方でした。
 
―武田さんの日頃の頑張りをよく見ていてくださった方が、武田さんを抜擢されたのですね。
 
―今から約10年前のことだと思いますが、当時は女性の駅長さんは珍しかったのですか。
 
武田さん:
他社には少数ながらいらっしゃったと思います。弊社では在来線尾張一宮駅に女性の駅長がいたことはありましたが、新幹線の女性駅長は私が初めてでした。新横浜駅は、社員が約120人(当時)と大規模で、新幹線駅の運営管理はやりがいもありますが列車運行など未経験のことも多く、重責を担うプレッシャーを感じました。しかし、私を信頼して任せてくれる人がいるのだから頑張ろう、そういう意気込みのほうが強かったように思います。
 
―現場の女性駅長の受け入れ感はどうでしたか。現場の抵抗や軋轢(あつれき)はあったのでしょうか。
 
武田さん:
現場の社員は、現場を知らない女性の駅長が来る、ということで、相当緊張していたと思います。
私自身は、現場を知らない分、できるだけ現場に赴き、社員と話をするように努め、知らないことはどんどん聞いて勉強しました。社員にいろいろ聞くと、皆、親切に教えてくれて、現場の抵抗や軋轢は特に感じませんでした。
 
―現場に赴き、社員の意見に耳を傾けていらっしゃったのですね。駅長として、他に気を付けていたことはありますか。
 
武田さん:
私は、現場経験は少ないですが、お客様の気持ちは分かりますので、お客様から見て何が必要かということを社員にできるだけ伝えるようにしていました。あとは、現場経験がないから、門外漢だからこそ出せるアイデア、違和感、改善案などを積極的に発言するようにしていました。
また、お客様との最前線に立つ社員との対話や、社員の思いを大切にしました。実際に働く現場の声を聴くと、自然と課題が出てくるので、話し合いをして、どうすればいいのかを一緒に考えました。
他には、オフの時間にも管理職の助役と交流の機会を設けて社員の様子や改善案について率直な意見交換をしたり、一般社員の改善活動の会合に参加して一緒に議論したり、改善活動後の食事会にも参加するなど、仕事内外での繋がりを大切にしました。自分から関わっていかないと、自分がどんな人間か相手に伝わらないと思うので、そこは積極的に行きましたね。
 
―積極的に関わることで、現場の社員との垣根がとれていったのでしょうね。駅長が、現場の末端まで見てくれているという安心感が生まれたのだと思います。
 
武田さん:
私はふらふらっと駅を巡回するスタイルで、現場の社員への声掛けやお客様対応のフォローをしていたのですが、社員からよく「ありがとうございます」と言われました。自分たちのことを見てくれている、と思ってもらえていたのでしょう。
 
―駅長が現場の最前線に身を置くのはなかなかできないことだと思います。それをされているから本当にすごいです。チームで仕事をする際に、トップが現場にいると、社員のモチベーションが上がります。社員に主体的に行動してもらうために、非常に大切なことだと思います。

一番大きな壁は、自分で抱え込まず周りを頼ることで乗り切る。

―大きな壁を乗り越えた経験を教えていただけますか。
 
武田さん:
仕事上で一番大きな壁だと思ったのは、2016年に新幹線鉄道事業本部の営業担当部長だったときのインバウンドの対応ですね。東海道新幹線の駅や車内でのお客様へのサービス向上を推進する担当だったのですが、外国からのお客様へのサービスをよくするには、社員の対応はもちろん、車両や駅設備の改善も必要で、これらを社外も含めた運行に関わる全ての関係者とともに進める必要がありました。私自身、鉄道部門での業務経験が少なく人脈も乏しかったので、自分だけでは何ともできなかったです。
上司や周囲の社員と連携して、他部署やJR他社に協力を依頼するなど、周りに頼ることで乗り切ることができました。自分だけで抱え込まず、周りを頼り、いろいろなネットワークを使うのが大切だと学びました。自分の仕事の世界もとても広がったと思います。
 
―女性ならではの戸惑いはありましたか。
 
武田さん:
子どもができるまでは自分の思うような働き方ができますが、子どもができて、家庭での役割が加わると、仕事のできる時間が限られます。
最初はもっと仕事をやりたいのに、と不満に思いましたね。しかし、限られた時間で、できることを最大限にやろう、と思い直し、常に周りが良くなるためにどうしたらいいかを考えて仕事をするようにしました。
子どもが大きくなってくると、子育てに充てる時間はだんだん少なくなるので、その悩みも自然と解消していきましたね。
 
―女性だから困ったことや、女性だから壁を感じたことはありますか。
 
武田さん:
あえて言うならば、男性中心のネットワークへの入りづらさでしょうか。ネットワークの中の方からしてみれば、異端でしょう。警戒したくなりますよね。
 
―透明の壁、ですね。
 
武田さん:
男性管理職や周囲の男性社員の方々も、女性管理職・上司ってどういう感じなんだろう、話が通じるのか、どこまで任せてよいのか、という不安感があったのだと思います。
しかし実際ネットワークの中に入ってみると、女性管理職が入ることで、女性の治外法権になりやすい部分を代弁してくれる人が来た、これまでとはいい意味で違うぞ、という歓迎の雰囲気があり、思っていたほど抵抗感はありませんでした。

女性が活躍できる組織は、男性も働きやすい。

―御社の女性活躍推進の取り組みについて教えてください。
 
武田さん:
弊社ではこれまでも労働環境整備や両立のための勤務制度の創設を行ってきましたが、改めて2020年に女性活躍推進プロジェクトを立ち上げ、2021年4月~2026年3月末までの5カ年の行動計画を策定しています。計画期間の終了までに女性採用率を25%以上とする、女性の管理職の人数を1.5倍以上(2020年度末比)にするといった数値目標を掲げており、目標達成に向けて全社的に取り組みを推進しています。
ちなみに例えば、女性の深夜労働が禁止されていた1996年の弊社女性社員割合はわずか1.3%程でしたが、1997年の改正労働基準法公布を受けて、本格的に女性社員の採用を開始し、2021年度末時点での女性社員数は約2,200人、全社員に占める割合は約12%となっています。
 
―鉄道会社は圧倒的に男性社員の方が多いイメージがありましたが、徐々に女性社員割合を増やしてこられたんですね。5カ年の行動計画が2021年4月から始まったということで、およそ2年経過したところですが、振り返ってみて何か感じるところはありますか。
 
武田さん:
そうですね。管理部門だけでなく鉄道現場にも女性管理職が徐々に出てきました。一方で、女性社員がある程度のポストまで行こうと思うと、裾野の広がりが必要だと痛感しています。採用も大事ですが、女性社員の職域の拡大と言いますか、やりがいを持って、経験やキャリアを積んで働き続けられる環境づくりがとても大事だと思います。
私は、女性が活躍できる組織は、働き方改革が進み、多様性が尊重され、男性も働きやすくなると考えています。女性活躍の推進により、女性も男性もwin winの関係になれると信じています。

部下がちょっと頑張ってみたくなるようなきっかけを作る。

―経験やキャリアを積んで働き続けられる環境づくりで重要だと思うことを教えてください。
 
武田さん:
これは男女関わらずですが、上司が、社員一人一人に、キャリアを積んでほしいという期待感をもって接することが大変重要だと思います。社員個人の考え方や置かれた状況を見ながら、ちょっと頑張ってみたくなるようなきっかけを作ること。特に女性社員には積極的にその機会を作ることが大事だと思います。
私の経験で恐縮ですが、駅長だった際、とても人柄がよく仕事もできる女性駅員がいたのですが、家庭があるため日勤で予備的な仕事が中心でした。私は彼女ならできる、やりがいを感じて違う世界を見てもらいたいと思い、指導的な役割を振ってみたり、対外的なプレゼンの場に発表者として指名したりしました。するとある時、彼女から、リーダーになるための選抜研修を受けてみようと思うと告げられ、結果的に見事合格しました。チャレンジのきっかけを糸口に、少しずつ成功体験を積んでもらうことで、自信につながり、もう少しやってみようという気持ちにつながったのだと思います。
無理にポストに就くというよりも、まず仕事にやりがいを感じてほしいです。社員が周囲から、「あなたに頼んでよかった」と言われることは働きがいにつながり、もう少しやってみようという挑戦につながります。上司はそのためのきっかけを常に作っていってほしいです。
 
―お話を聞いていて、武田さんを新横浜駅の駅長に推薦した上司の方も、今の武田さんに同じようなことをしてくださったのかな、と思いました。
 
武田さん:
本当にそうかもしれませんね。「武田にやらせてみようかな」くらいの感じで余裕をもって育てていただいたのかな、と思います。チャンスをいただけたのだから、できるところまで頑張ってみようかなと思ってここまできました。
 
―やらせてみようというチャンスをきちんと受け止めて、ご自分で行動して、努力が実って結果になっていったのですね。期待を力に変えるだけでなく、できるところまでやってみようかな、という柔軟性も持ち合わせておられ、そこがしなやかだなあと思いました。
 
武田さん:
「とてもできません!」と言われる人もいるのですが、その人なりでよいので、まずはぜひ、やってみてほしいですね。
 
―私も同感です。迷ったときは、声を掛けてくれた方がいるのならば、チャンスをいただけたのならば、まずはキャッチしてみようかな、というのが私の行動パターンです。
乗り越えられるかはまた別の話ですが(笑)

しなやかだけれどもたくましく。手抜き息抜きをしながら。

―最後に、これからキャリアを積んでいかれる若手社員の方々へメッセージをお願いします。
 
武田さん:
今ポストに就くのをためらっている方に伝えたいのは、私の場合、仕事も家庭も両方が大切な拠り所だということです。時期によってそのバランスが変わることはあるでしょうが、どちらか一方が欠けていたら、今感じているような充実感は得られなかったと思います。
ポストや機会を与えられたら、それは世界が広がるチャンスなので、ぜひチャレンジしていただきたいです。
私自身、チャレンジはしんどかった部分もありますが、振り返ってみると確実に自己成長につながったと感じています。
しなやかだけれどもたくましく。そして、手抜きも息抜きも大切です。
今自身が置かれている場所や与えられた環境の中で、頑張ったと言えるものを作り上げていって、それが誰かの目に留まって応援・期待され、その期待に応えて、そうやって世界を広げていっていただきたいなと思います。
あなたの行動が、一緒に働く方たちによい影響を及ぼし、雰囲気の良い、働きやすい、働きがいのある職場につながっていくのだと思います。

~インタビューを終えて~

総合職として入社され、本社勤務のいわゆる総務・労務管理部門だけでなく、現場である駅の助役や、新幹線の駅長を務められ、初の女性執行役員になられた武田さん。
お話をうかがっていると、武田さんの歩んでこられた会社人生が、JR東海さんの女性活躍推進の歴史を体現されているように感じてなりませんでした。
また、駅長時代、惜しむことなく現場へ赴き、現場の最前線で社員の方と対話を重ねられていたというお話には、私も同じマインドです!と強く共感しました。
私も市役所の幹部や管理職に、職員のチャレンジを後押しできるようなきっかけを与えるのが役割であることを伝えていけたらいいな、と改めて思いました。
社員や職員の方々には、ポストや機会を与えられたら、それはあなたが期待されている証拠なので、臆せずにチャレンジして、自分らしいキャリアを歩んでいただきたいと思います。

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