- ステキなセンパイ
2023/10/23
Vol.4 「言ってもらわないとわからない!」 息子の言葉が、職場の環境づくりに役立ちました。
NTP名古屋トヨペットの林敦子さんは、2度の育休を取得しフルタイムで復帰。その後、管理職になりました。「あと4年で60歳になるので、自分が得たものをちゃんと返していきたい」と語る林さんに、子育てと仕事をどう両立させていったのか。また、管理職になったときの葛藤などをお伺いしました。
林敦子さん
NTP名古屋トヨペット 営業サポートセンター部長
1990年高蔵寺営業所(現在は高蔵寺店)にU-CAR販売スタッフとして入社(2度育児休暇を取得)。U-CAR課長、店長、本社HR推進部部長代理、本社営業サポートセンター部長代理を経て現職。
高校時代にバスケットボール部にてインターハイ出場、大学時代にインターカレッジ出場。現在は社会人クラブチームに所属。
2人の息子さんの手が離れた今は旅行が趣味。
https://nagoya.toyopet-dealer.jp/
育休後、フルタイムで勤務
上司や周りの協力があったから続けることができました。
―入社のきっかけを教えてください。
学生時代からずっとバスケットをやっていました。就職活動をしているときに、名古屋トヨペットの女子バスケット部を強くしようという動きがあるのを知ったことがきっかけ。車のことはあまり知らなかったのですが、バスケをやれるということで選びました。
―育児休暇を2度取得されていますが、出産後も仕事は続けていこうと思っていましたか?
私の姉が育休を取って働いている環境だったので、それが当たり前だと思っていたし、親も協力してくれるということだったので、辞めるという選択肢はありませんでした。でも、当時はまだ、女性は結婚や出産を機に会社を辞める時代で、営業職で育休を取得したのは私が最初でした。上司や周りの協力があったからこそ、続けることができたと思っています。今では、アテンダントという受付業務のスタッフもほぼ育休を取っているし、同じ営業職のスタッフから相談を受けたときは「産んでから決めなさい。今辞めなくてもいいよ」とアドバイスをしました。
―当時は時短勤務で働いていたのですか?
まだ時短勤務という制度がなかったため、普通にフルタイムで働いていました。職場から家が近かったし、当時の上司が理解してくれていたので、途中1~2時間抜けたり、子どもを連れてお客さんのところに行ったりすることもありました。営業なので夜遅くなることもあったけれど、私の場合は近くに親がいてくれて、息子たちの食事までは親がやってくれるという環境があったのでフルタイムでもやっていけました。ただし、普段かまってあげられない分、授業参観や運動会、文化祭など、子どもの行事には絶対に参加しようと決めていて、それを高校までやっていました。息子は嫌だったと思いますが…(笑)。運動会が終わった後に商談することもあって、私も子どももお客様に育ててもらいました。
仕事と子育て、そしてバスケ…
上司の言葉で管理職になることを決意しました。
―管理職になることに不安はありませんでしたか?
課長になるにあたり、男性の部下と上手くいくのかという葛藤と、今もバスケを続けていますが、土日に試合があった場合、上司が現場にいなくていいのかという思いがありました。でも、それを上司に伝えたときに「きちんと段取りとっておけばいいよ」と言ってもらえたので、管理職になる決心をしました。当時は自分の生活リズムを変えずに、土日に子どもの用事やバスケの試合があるときは抜ける・休む、という感じでやらせてもらいました。あとはどうやって部下とうまくやるかということを考えました。感情的になるのはやめようとか、ちゃんと話を聞こうとか…。でも実は、職場の環境づくりに子育てがすごくプラスになっています。息子に「父さんは他人だけど、あなたは私のお腹から生まれてきているから、何も言わなくても私の気持ちがわかるでしょ?」と言ったら「そんなの、言ってもらわないとわからん!」とズバッと言われたことがありました。息子でさえそうなのだから、他人に「ここまでやってくれるだろう」とか「なんでやってくれないのだろう」と思うのが間違い! きちんと伝えなくてはいけないということを学んだので、言葉の使い方や伝え方などを考えながらやっています。
―コミュニケーションを大切にしているということですね?
話しやすい環境や相談しやすい環境をつくろうという思いが強いので、コミュニケーションは上手く取れていると、自分では思っています(笑)。あと、どうしても土日に休まなくてはいけないので、自分の仕事を任せられる二番手・三番手を育てておかないといけません。そういう意味では、コミュニケーションが取れているから、私が抜けた後もうまく回ったと思っています。
―その後、順調にキャリアアップしていきます。
店長になったときは部下が20人ぐらいになりましたが、もともとキャリアを積み上げた場所だったのでやりやすかったですね。お客様はわかってくれているし、自分がやりたい店舗づくりができました。
―やりたい店舗づくりとは?
お客様から親しまれる店舗にしたいというのが一番の思いでした。私が入社したときの店長が店舗でコンサートを開催していて、それを知っているお客様に「またやってほしい」と言われたので、地元のお客様に演者になってもらって、店舗コンサートをやっていました。毎月第1土曜と固定していたので、楽しみにしてくれているお客様がどんどん増えました。地域には演奏の場が欲しいという人がたくさんいたし、中部大学が近くにあったので、大学生が来てくれたこともありました。コミュニティーの場にすることで演者の友達や知り合いが来てくれるので、はじめて高蔵寺店に足を運んでくれる人にも知ってもらえたと思います。
バスケが仕事に通じている!
新しいものを取り入れると、案外勝てたりするんです。
―その後、本社に異動になりますが…。
今までは通勤時間5分だったのに、1時間半かかるようになりました。そして、本社に異動になったと同時に下の息子が高1になったので、お弁当づくりも始まって、毎朝5時起き。本当につらかったです(笑)。人材の採用に関連する業務全般を行うHR推進部に異動になりましたが、当時はパソコンもできないし、本社の考え方もわからないし、とても大変でした。でも、できないことは「できない」、わからないことは「わからない」とはっきり言えるタイプなので、逆に助けてもらいながら仕事を覚えたという感じですね。今まで現場しか知らなかったけれど、本社は本社で組織があって、店舗のために動いていることとか、NTPを訴求させるために動いていることなどがすごくわかりました。
―お忙しい毎日ですが、ストレス解消法は?
バスケのカテゴリー(年代)別の全国大会があって、週1回は練習しているのですが、それが一番のもストレス解消法です。バスケは仕事に通じているところがあると思っています。若いころは体力もあって動けるし、どれだけでも戦えるけれど、年齢とともに体力は落ちるので“30年前のバスケ”をやっていても勝てません。でも、新しいものを取り入れると、案外若い人に勝てたりするんです。「昔の経験はいらない!」ということを5年ぐらい前に覚えました。それまでは、メンバーもいいから勝てるはずだと思っていたのに勝てなくなってきて、チームが壁にぶち当たっていました。頭ではわかっているけれど、体が動かないんです。でも、中学校の時の恩師が“今のバスケ”を教えてくれるようになってからは動けるようになって、勝つ喜びをより感じられるようになりました。それは仕事にも置き換えることができます。前任の社長は新しいものを取り入れるのが大好きでした。なかには「新しいものを取り入れなくても、今がうまくいっているのならいいじゃないか」という人もいました。でも、結果的に新しいものをいち早く取り入れてくれたおかげで、いろいろな仕事がスムーズにいったと思っています。「バスケと仕事はリンクするんだ」と腑に落ちました。
―バスケを通して仕事でも成長している?
その感覚がわかるようになったのは、やはり役職をもらってからですね。普通のスタッフのままだったら、不平不満だけで終わっていたかもしれません。管理職になると誰にも言えないことが増えるけれど、バスケを通して自分の中に落とし込んでいけるようになりました。
―男性も育休を取る時代ですが、事例などはありますか?
幼稚園のお子さんがいる共働きの男性部下には在宅勤務もやってもらっています。これからの時代は、育休だけではなく介護もあります。介護だと男性社員も男性の上司も絶対に関わってくるから、今いるメンバーでいかにうまく回していくかを考えればいいと思っています。男性が早く帰っても私は問題ないと思っているので、そういう考えの人が増えるといいですよね。
―ナゴ女にアドバイスを。
核家族が多いので大変なこともあると思うけれど、上司や周りの理解があれば、育児と仕事の両立はできると思っています。頭で考えたら「絶対にできない」となるかもしれませんが、育休を取れば考える時間もあるし、復帰してからも辞めることはいつでもできるから、まずはやってみてください。やれないならそのときにやれる方法を探せばいい。せっかく入った会社をすぐに辞めてしまうのはもったいないと思います。ただ、辞めることがだめなのではなく、「社会に長くいられる」ということが大切だと思います。